法然寺縁起

永和四年(1378)群馬県吾妻群東吾妻町の善導寺(浄土宗)第三世 妙静光融上人が北朝第五代 後圓融天皇の御代として紀州に教導した折、和歌山市福島善導寺を建立されました。
この善導寺には六棟の別院があり、その一寺院が当山でありました。

しかし、天正十三年(1585)豊臣秀吉の紀州攻めの兵火に遭い善導寺全山が消失し、それぞれがバラバラになり、法然寺は六十谷の地へ移転しました。

寛永十一年(1634)当時の住職、咲渓俊惠上人が六十谷の出身であり、梶取総持寺の貫主であった大江南楚上人の援助を受け、当山を再興し、南楚上人を中興開山と仰ぎ自身は第二世となり、法然寺の法灯が再び継承される事となりました。

その後連綿と受け継がれてきた法然寺でしたが、紀の川の洪水により度々浸水し、宝暦六年(1756)当山第八世 勝空文超上人代に、高台である現在の地に移転しました。

現在のお堂は平成二十六年十二月、当山第三十二世 天空孝龍上人発願のもと、諸堂宇建築事業がなされ、平成二十九年十一月落成に至りました。

法然寺概略

 名称     一乗山 雲龍院 法然寺
 本尊     阿弥陀如来
中興開山    大江南楚上人
 宗派     西山浄土宗
 本山     総本山 光明寺
 称名     南無阿弥陀仏
 宗祖     法然上人
 流祖     西山上人
 所在地     和歌山市六十谷七九一番地
 現住     松尾学龍